沖縄本島に広く分布する「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」は、2000年に文化遺産として世界遺産に登録されました。その中には、記憶にも新しい2019年10月に大火災にあった首里城も含まれています。
このニュースは日本中が大きな衝撃を受けましたが、世界遺産の抹消は免れました。
この記事では、琉球王国のグスクおよび関連遺跡群が世界遺産に登録された理由、そして見どころをお伝えします。
琉球王国のグスクおよび関連遺跡群が世界遺産となった経緯
世界遺産登録年:2000年
登録基準
(ⅱ)建築や技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展において、ある期間または世界の文化圏内での重要な価値観の交流を示すもの
(ⅲ)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である
(ⅵ)顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)
遺産概要
15世紀、現在の沖縄県は琉球王国として1つの国が成り立っていました。薩摩藩・島津藩の侵入とともに日本の統治下に置かれ、明治に正式に沖縄県として誕生。長い琉球王国を築き上げたこの遺跡群が世界遺産として登録された理由はつぎのとおりです。
3つの登録基準に当てはまる
世界遺産に登録されるには、10項目のうち1つ以上基準に当てはまらないと登録には至りません。そのなかで、琉球王国のグスクおよび関連遺跡群が基準に当てはまったものは3つです。
- (ⅱ)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流またはある文化圏内での価値観の交流を示すもの。
- (ⅲ)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統または文明の存在を伝承する物証として無二の存在。
- (ⅵ)顕著な普遍的価値を有する出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある。
日本の推薦翌年には世界遺産として登録
世界遺産へ登録するには、保有している国からの推薦がないと登録はされません。日本は1999年にユネスコ世界遺産センターへ推薦を提出。
その翌年、2000年には世界遺産へと登録されました。独自の文化を切り開いた琉球王国は、中国や韓国・日本など、諸外国の影響を受けており、古来の日本の文化とはまったく違ったものです。
グスクと呼ばれる城跡も、沖縄全土に渡って世界遺産になっています。
琉球王国のグスクおよび関連遺跡群の見どころ
広大な遺跡群には9つの資産として構成されています。そのなかでも、抑えておきたい見どころをご紹介します。
9つの城郭をもった今帰仁城跡
13世紀ごろに建てられた今帰仁城跡は、北山監守の居城跡地です。17世紀に攻撃により建物は焼失したため、現在は城壁のみが現存。
城壁の長さや約1,500m。地形に合わせた作られた城壁は、曲線で自然の石が使われています。石の積み方は、「野面積み」と呼ばれおり、もっとも古い積み方。
この今帰仁城跡には、御嶽(うたきといい、聖地と呼ばれている場所)があり「ソイツギ」といいます。ソイツギは、拝所として使われていたため参拝者も多数訪れました。
「続日本100名城」に選ばれた座喜味城跡
2006年に「続日本100名城」に選ばれた座喜味城は、首里城との連携を図る重要なお城でした。現在は城跡のみとなっていますが、小高い丘にあるため、読谷村を360℃見渡せる景観。
今帰仁城よりも後に築かれた城で、石垣は野面積みはもちろん、相方積みも用いられており、琉球王国の技術をいちどに観賞することができます。
城壁の上からの眺めは、遠く久米島や慶良間諸島も眺望できるので、晴れた日はぜひ登ってみてください。
格式高い斎場御嶽
琉球王国の国としての大事な神事が行われていた場所で、もっとも格式高い御嶽です。琉球王国の聖地巡礼の一つである「東御回り」の参拝地にもなっており、現在も崇拝された場所。
敷地内には6つの神域がありますが、「ウローカー」と呼ばれる神域は、現在立入禁止となっています。各6つの神域には、それぞれ役割が決まっており、神事を行わない人は一定の場所までしか入れない、とても神聖な場所でした。
神域の中には、首里城内と同じ名前の部屋が付けられたものも。国が管理していた御嶽とあって、首里城とも切っても切れない関わりだということがよく分かります。
再建されることを祈る首里城跡
焼失により、正殿など主要な建造物は現在見られません。
首里城は、琉球王国の居城ともされていましたが、じつは創建は不明のまま。ただしもっとも重要な政治的主体の場所でもありました。
一口に首里城跡といっても、巨大な公園。大小さまざまな建造物は見ごたえも抜群です。
火災の影響を免れた守礼門は、現在も見ることは可能。この守礼門は、今は幻にもありつつ二千円札にも描かれている門です。
守礼門は正門ではなく、来訪した人を歓迎する門という意味が込められています。それは「守礼之邦」という言葉が物語っています。この言葉、来訪する人によって掲げたり下げたりしていたとか。
再建されたら、ぜひ正殿もみてください。
独特な建築形式は、とても興味深くそして力強さも感じます。
まとめ
琉球王国のグスクおよび関連遺跡群は、どうしても首里城跡にスポットがあたりがちですが、沖縄本島全土に渡ってその背景を見ることができます。
450年にも渡って栄えた琉球王国の素晴らしさを、ぜひ体感してください。